上野由岐子投手が伝えたい。センスを勘違いして諦めないで!

人物です
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自分もスポーツ経験者だったりします。

最近、ソフトボール女子の上野由岐子投手の「センス」についてお話されている場面がありまして、とても印象に残っています。

最近センスっていう言葉を耳にするけれど、センスってすごく便利な言葉なんです。

さて上野由岐子流のセンスの正体とは、何か・・・。

センスないからできない。
ということで、ごまかしてないかなって、、、

ここのセンスを高めたからこそ、あいつセンスあるなって。
もしかしたらみんなも、こう秘めたところに持ってるかもしれない。

それを自分自身が気づけてないだけかも知れない。
こんな感じの始まりでした。

センスって何か?

最近センスがあるとかないとか、センスを持っているとかっていう、
センスっていう言葉をよく耳するんですけど、

センスってすごく便利な言葉で、、、

まっセンスだよ!
とかって適当にごまかしちゃって使うことが多いんですけど、

じゃあそもそもセンスって何か?

すごく感じることがあって、逆にセンスないからできないとかって、
それって、ごまかしてないかなって、最近ちょっと感じることがあって、、、

私が思うセンスって、
いくらでも伸ばすことができると思っていて、

みんなはよくセンスを能力、自分が持ってる身体能力の能力として、センスっていう言葉を使うことがほとんどだと思うんですけど。

持って生まれてきた能力ではなくて、脳みその能力だと思うんですね。

こっち(脳みそ)の能力をどれだけ使えるかで、私はいくらでもセンスって伸ばせると思うので、
能力の使い方をもっとみんなこう深く考えてほしいし、しっかり考えてほしい。

センスという言葉で可能性を諦めない

センスを伸ばすための努力をどのくらいしましたか?
私はセンスがないからできないって諦めてないですか?

 ・もうちょっと考え方を変えたり
 ・捉え方を変えたり
 ・努力の仕方を変えたり

特別高いセンスを持ってる人が、初めからセンスが高かったわけじゃなくて、
その人の努力によって、もしかしたら高めたセンスかもしれない。

っていうのをみんなどのくらい感じられてるのかな。

なんかセンスっていう言葉で、自分自身の可能性を諦めないでほしいなって感じることが最近伝わったので、是非皆さんも流されないようにしてほしい。

センス自体が全てじゃない

センス自体が全てじゃないと思います。

私は小さい頃から人より速いボールを投げることができた。
っていう能力は授かって生まれてきたかもしれないけれども、

速いボールを投げるっていうことと、
勝てる、抑えれる、打たれない、

は決してイコールじゃないと思うんですね。

速いボールを生かして打たれないように努力をした結果、世界一のピッチャーって言われるようになったっていう、その過程の努力は私が求めるセンスだと思うんです。

このセンスを高めたからこそ、あいつセンスあるなって言われる選手になれたと思うので、、、

その速い球を投げれないから抑えられないのか。。。
そうじゃないと思うんですよ。

持ってる能力はいくらでも高め方はある

速いボールが投げれなくたって
センスがあるピッチャーってたくさんいると思うので。

もちろんね。
持ってる能力の差はあるかもしれないけど、いくらでも高め方はある。

努力しなければいくらの高いところからスタートできても高めなければやっぱり努力した人たちに追い抜かれると思うし。

もしかしたらもう高いレベルのところで、その持ってる能力の差で超えられない壁は生まれてくるかもしれない。

でも、まずそこの壁に到達するまで皆さんどれだけ頑張ってますか?
どれだけ頑張れてますか?

っていうのをしっかり、まず自分自身に自問自答して、
実は隠れていた可能性が見えるんじゃないのかと思うことが、まちょっと最近あったので。。。

自分の可能性をもっと信じて

ぜひ皆さん、自分の可能性をもっと信じてください。

私はよく感覚的に色んなことをやってる風に見られがちだし、
ポイっとかやってボール投げちゃったりしますけど。

でもその裏付けとしては、それをしっかり言語ができるだけの理解をして行動を起こしてる感覚です。

この感覚で自分の体をこうやって動かしたら、こういうボールの軌道が行くなとか。

こういう風にボールが投げるんじゃないのかな。
っていうイメージがしっかりできてる中での感覚的な動き。

適当にしてるように見せてますけども、決してアバウトではない。

なんでそのプレーができたかっていうのをしっかりこう、物理的に理解して体を動かしてる感覚があるので、

たまたまではない。

理解して自分の体を動かしている感覚

一か八かでやってできたラッキーっていうのはもう本当ラッキーでしかない。

二回できないプレーももちろんありますけど、
でもほとんどの自分がプレーしている中では、理解して自分の体を動かしているっていう感覚を持ってやってます。

自分の中でしっかり自分自身を分析して、こう動かしたらこうなる。
という物理的な感覚とかもちょっとこうイメージできて、

ちゃんと言葉にして伝えられるっていう感覚を持っている。
っていう感じですかね。

理論派です。ハハハ!

できなかった時の自分は私自身が一番分かっている

私は初めからこの感覚があったわけではなくて

やっぱり色んな失敗をしたり
いろんな経験をしてもっとこういう風になりたい。

もっとああいう風になりたい。
もっとこう体を動かしてみたい。

こう動かせるようになれば、もっといいプレーがもっとできるんじゃないか。
っていうのを求めていった結果。

今の自分、今のプレースタイルがあったり、今の感覚をこう研ぎ澄ませてくれたっていうものもあるので、、、

初めから今のものを持ってたわけじゃないし、
上野だからできるってよく皆さん言われるんですけど、やっぱりできなかった時の自分、私自身が一番分かってるし、

私も知っているので、初めからできてたわけじゃないんだよって、自分もできない時があった。

それを悔しくて、なんとかできるようになりたくて、できるようになったから今の自分。
今の上野ゆき子っていうものが作り上げられたのかなって感じているので。

自分が気づけてないだけで秘めた可能性は持っている

小学生の時から今みたいに、今の上野由岐子がプレーをしてたわけではない。

ストライクが入らなかった時期もあるし、
押し出しのファーボールしちゃったとか、やっぱりいろんな苦い経験をしながら、

今のピッチングスタイルっていうのが出来上がってると思うので、
みんなとは歩んできた道は同じと考えれば、やっぱり特別ではないと思います

もしかしたらみんなもこう秘めたところに持ってるかもしれない
それを自分自身が気づけてないだけで。。。

っていう可能性は、やっぱりみんな持ってるんじゃないのかなって思う。

トッププレイヤーになりたければ最初にも言ったように、
その能力をどれだけ使えたかどうか、に気付いてほしいなと思います。


はぁーー、なんか凄いですね。
これは単なる理論派ではないです。言語化できるところまで落とし込むところがスゴイ!

なるほど、ド正論でした。
自分のセンスを伸ばすためにどれだけ努力したか。

センスとは脳みその能力、だから伸ばしていける。その過程の努力は私が求めるセンスだと思う。

自分の過去を振り返っても恥ずかしい限りですね。