2011/1/12
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【こころの栄養学】-ふまれてたんぽぽ、ひらいてたんぽぽ |
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ふまれてたんぽぽ、ひらいてたんぽぽ
種田山頭火 『山頭火句集』より |
一般的書き方をすると「踏まれてタンポポ、開いてタンポポ」となります。
孤独と漂泊の俳人、山頭火の句。この他にも
「まっすぐな道はさびしい」
「わけいってもわけいっても青い山」
「月からひらり柿の葉」
などの多くの有名な句があります。
そのどれもが、孤愁をふくみ、求込的で、わびしく、しかし妙に開放的明るさを
称えているという点で共通していると思います。
この一句も、独特の自由律。したがって読み方は、自由です。
自由ですが、心に大きな悩みを抱えている方、出口なしの状況で煩悶している方にとっては、
一つかと。
すなわち、タンポポは必ず踏まれる宿命にある、しかし必ず太陽のように花開くのも
タンポポである、だから、つらいことや苦しいことがあっても、自分もいつかは
必ずタンポポのように花を咲かせることができるのだ・・・と。
「不屈」の魂であり「希望」の堅持。それなしで人は生きてはいけないのです。
山頭火も、すべてを捨てて放浪しながらも「生きる」ことは放棄しなかった。
むしろ、自然のふところに身をゆだね、
仏と会話することで、おのれの人生を生ききった。
「ふまれてたんぽぽひらいてたんぽぽ」。
それも一つの生き方なのでしょう。
踏まれる宿命にあっても、いつか必ず太陽のように花開くもの。
そう、このタンポポのように・・・。
種田山頭火(たねださんとうか)1882〜1940。
山口県防府市に生まれる。父は大地主だったが素行に問題があり、
正一(山頭火の本名)11歳のときに母が自殺。
23歳で早大入学、25歳で神経衰弱のため退学。28歳で結婚するが、
種田家の破産等があり、38歳で妻子と離別。44歳ごろから一鉢一笠
の行乞行脚の放浪をはじめる。自由律俳句の第一人者。 |
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